第1回 なぜ今、世界で「サステナビリティ情報開示」の統一ルールが必要なのか?
サステナビリティ情報開示がなぜ重視されるのか、サステナビリティ情報開示の国際基準「ISSB基準」とは何か、各国のISSB基準への対応について、解説していただきました。
第1回のポイント
・気候変動リスクや人的資本などの非財務情報が重視されるようになった。
・日本では2027年3月期から、サステナビリティ情報開示義務化が段階的に進む。
・情報開示には保証の付与も順次求められる。
・中堅・中小企業においても、取引先から排出量データの情報開示対応を要請される可能性がある。
・ISSB基準を軸に整合を図る流れが世界の主流である。

慶應義塾大学総合政策学部教授
白井さゆり教授
目次
財務諸表だけでは企業の成長力を評価できない時代に
―投資家が企業の財務情報だけでなく、ESGのような非財務情報を重視し始めた背景について教えてください。
白井:財務諸表だけでは企業の持続的な経営力や成長力を十分に評価できなくなっていることが挙げられます。
例えば、気候変動リスク、人的資本、地政学リスクなどは、いずれも企業の将来の収益性や企業価値に直接影響を及ぼす重要な要素です。企業価値を評価する際に、ブランド、人材、技術、サプライチェーンといった無形資産にも注目して、将来の稼ぐ力を見極めるべきだという考え方が、世界的な主流になりつつあります。
サステナビリティ情報開示は、もはやCSR(注1)のような理念的な取り組みにとどまるものではありません。特に気候変動に関する情報開示は、将来の財務リスクと深く関わっており、売上、利益、キャッシュフローにも影響を与えるものです。
つまり、非財務情報は財務情報に影響を与える重要な経営情報であり、そのための情報基盤やデータを整備することが求められています。
―日本におけるサステナビリティ情報開示義務化の現状を教えてください。
白井:日本では、2023年3月期から、上場企業などに開示が義務付けられている有価証券報告書にサステナビリティに関する項目が新設され、人的資本やガバナンスに関する情報開示が求められるようになりました。気候変動に関してもTCFD提言(注2)を踏まえ、Scope 1、2、3(1が事業者自らによる温室効果ガスの直接排出、2が他社から供給された電力などの使用に伴う間接排出、3が1,2以外のサプライチェーンの間接排出)の温室効果ガス排出量について、義務ではないものの、重要性に応じて数値を開示することが求められています。
さらに、2023年6月にはISSB(注3)が新たな開示基準であるIFRS S1およびS2を公表しました。S1はサステナビリティ関連財務情報、S2は気候関連情報の開示基準です。これらをISSB基準と呼びます。
これを受けて、日本では開示義務化が段階的に導入される予定です。まず2027年3月期から、東証プライム市場に上場する時価総額3兆円以上の企業約70社が対象となります。続いて、2028年3月期には時価総額1兆円以上、2029年3月期には時価総額5000億円以上の企業へと対象が拡大されることが決まっています。
なお、東証プライム市場のその他の上場企業については、2030年代に義務化が検討される予定です。

参考:金融庁「第9回 金融審議会 サステナビリティ情報の開示と 保証のあり方に関するワーキング・グループ」資料
https://www.fsa.go.jp/singi/singi_kinyu/sustainability_disclose_wg/shiryou/20251030/01.pdf
―サステナビリティ情報開示義務化が段階的になっている理由は何でしょうか?
白井:情報開示対応が企業にとって一定の負担を伴うためです。金融庁は、まず外資系株主の比率が高い企業を優先して開示義務化の対象とする考えです。東証プライム市場の全上場企業を一律に対象とすることには慎重な姿勢が見られます。
一方で、時価総額5000億円以上の企業まで対象を広げる方針は明確に示されています。これまでTCFDに基づく開示は任意対応でしたが、今後は大企業から順次、義務化へ移行していきます。
企業にとって影響の高い変更点は、「アシュアランス」と呼ばれる第三者による保証が要求されることです。従来のTCFD開示では、企業が重要と判断した情報を自主的に開示していましたが、今後はその内容に対して保証を付すことが求められます。
保証の義務化は開示義務化の1年後から開始され、例えば2027年3月期に開示義務の対象となる時価総額3兆円以上の企業は、2028年3月期から保証も義務付けられます。保証には、「限定的保証」と「合理的保証」の2種類があり、まずは限定的保証から導入される予定です。限定的保証は、開示された気候関連情報や各種データに重大な誤りがないことを確認するもので、合理的保証に比べて簡易に実施できるため、企業の負担も抑えられます。
EUでは限定的保証から開始し、段階的に合理的保証へ移行する方針が示されており、アジア各国でも将来的な保証義務化を視野に入れる動きが広がっています。
中堅企業や中小企業も無関係ではないサステナビリティ情報開示対応
―中堅企業や中小企業では、サステナビリティ情報開示義務化を見据えた取り組みが必要でしょうか?
白井:現時点では、中小企業にまでSSBJ基準(注4)の義務化が広がる可能性は低いと考えられます。中小企業にとって開示の負担が大きいためです。こうした傾向は、日本に限らず世界的にも共通しています。とはいえ、今後、中小企業向けに簡便な開示の枠組みが検討される可能性はあります。重要なことは、大企業がScope 1、2、3の開示を進める中で、Scope 3にサプライヤーが含まれるという点です。そのため、中堅企業や中小企業であっても、情報開示対応を取引先から要請されることが増えていくと考えられます。
従って、中小企業においても、サステナビリティ情報開示に関する最新状況を把握し、関連データを整備する体制を整えておくことが重要です。
ISSB基準とは
―サステナビリティ情報開示の国際基準「ISSB基準」とは何か、改めて教えてください。
白井:ISSB基準とは、ISSBが2023年に公表した、企業が気候変動などのサステナビリティに関する情報を開示する際の「世界共通ルール」のことです。投資家が企業の成長力や将来的な価値を判断しやすくするために策定されました。
ISSB基準は、サステナビリティ関連の財務情報を開示するための基本的なルールであるIFRS S1と気候変動に伴うリスクや機会に特化した具体的な開示ルールであるIFRS S2から構成されており、従来のTCFDの枠組みを引き継ぎ、「ガバナンス」「戦略」「リスク管理」「指標及び目標」の4つが軸になっています。ISSB基準の導入により、これまでバラバラだった非財務情報の開示が標準化され、投資家が世界中の企業を同じ尺度で比較できるようになります。
― ISSB基準に関する各国の対応を教えてください。
白井: ISSB基準は、本来、投資家向けの財務開示とサステナビリティ情報を年次報告書の中で一体的に示すことを重視しています。そのため、日本のように有価証券報告書の中で開示を求める動きは、ISSBの考え方と比較的整合的といえます。英国でも年次報告書の中でサステナビリティ情報を統合的に開示する方向で制度整備が進められており、ISSB基準をベースとした英国版基準も策定されています。カナダでもISSB基準をベースとした独自の開示基準が策定されており、財務開示との接続を重視しながら段階的な導入が進められています。
一方で、香港やフィリピンのように、従来からESG報告書や独自テンプレートによる開示制度を整備してきた国・地域では、既存の枠組みを維持しながら、その中にISSB基準に沿った開示要素を組み込む動きがみられます。つまり、年次報告書とは別の形での開示を維持しつつも、ISSB基準に沿った開示内容が投資家に分かるよう、比較可能性を高める工夫が進められています。
また、中国やインドのように独自のESG開示制度が先行している国では、自国制度を中心に運用しながら、ISSB基準を部分的に取り入れる動きが進んでいます。
これに対し、EUは他地域とはやや異なる枠組みを採用しています。EUでは、CSRD(注5)のもとで、ESRS(注6)が整備されています。ESRSはISSB基準を意識しつつも、それよりも開示内容が詳細で、求められるデータの範囲も広いのが特徴です。その背景には、両者の考え方の違いがあります。ISSB基準は、環境や社会の要因が企業財務に与える影響を中心に捉える投資家重視の枠組みです。一方、EUではそれに加え、企業活動が環境や社会に与える影響も重視した二方向の枠組みとなっています。EUでは、サステナビリティ情報について独自の基準に基づく詳細な開示が既に義務付けられています。
このように、各国で導入方法には違いがあるものの、ISSB基準を意識しながら比較可能性や整合性を高めようとする流れが世界的に広がっています。

ISSB基準は、本来、世界でさまざまなサステナビリティ開示基準が乱立し、企業が自主的に異なる基準を用いて開示していた状況を整理し、投資家が国や企業をまたいで比較できるようにするために策定されたものです。
しかし実際には、先ほど説明したように、各国での採用方法に違いがあるため、完全な比較が実現するわけではありません。それでも、各国の制度がISSB基準を参照にするようになっているので、比較の基盤となる考え方を共有できるという意味で、大きな意義があります。日本のSSBJ基準については、当初は独自色の強い修正も見られましたが、その後ISSB基準との整合性を重視する方向に改められました。
その結果、ISSBから「イクイバレント(同等)」と認められています。ISSB基準の導入におけるモデルケースの一つといえるでしょう。
注1 CSR:Corporate Social Responsibilityの略。企業の社会的責任
注2 TCFD提言:TCFD(Task Force on Climate-related Financial Disclosuresの略。気候関連財務情報開示タスクフォース)が2017年に公表した気候変動に関する企業の情報開示の枠組み
注3 ISSB:International Sustainability Standards Boardの略。国際サステナビリティ基準審議会
注4 SSBJ基準:SSBJ(Sustainability Standards Board of Japanの略。サステナビリティ基準委員会)が策定した「日本版サステナビリティ開示基準」
注5 CSRD:Corporate Sustainability Reporting Directiveの略。企業サステナビリティ報告指令
注6 ESRS:European Sustainability Reporting Standardsの略。欧州サステナビリティ報告基準
(文責:ISBマーケティング株式会社)
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